このサイトは,「こども伊万里学」指導資料作成研究委員会(伊万里市教育委員会委嘱)が伊万里焼について学ぶこどもたちのために制作した教材サイトです。 各学校の授業でご活用ください。


唐津(からつ)(やき)と伊万里焼

 伊万里といえば 磁器(じき)の伊万里焼というイメージがありますが,伊万里は陶器(とうき)である唐津焼ともきな(かか)わりがあります。
 唐津焼は16世紀(せいき)後半(こうはん)に,岸岳(きしだけ)(じょう)現在(げんざい)唐津(からつ)()北波多(きたはた))の城主(じょうしゅ)付近(ふきん)一帯(いったい)(おさ)めていた波多氏の保護(ほご)のもとで,朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から()陶工(とうこう)たちが(はじ)めたとされています。

岸岳城(きしだけじょう)があった岸岳

 その()波多(はた)()豊臣秀吉(とよとみひでよし)によって(ほろ)ぼされ,波多氏の保護を()けていた(おお)くの陶工離散(りさん)しました。その,陶工たちは各地(かくち)陶器をつくるようになりました。伊万里市では大川町松浦町南波多町大川内町などです。
 そして豊臣秀吉の朝鮮半島への出兵(               しゅっぺい)()れてこられた陶工たちがたに(くわ)わり,肥前(ひぜんの)(くに)各地で陶器 がさかんにつくられるようになりました。
 また,日本最初(さいしょ)磁器がつくられたのが肥前であった理由(りゆう)は,陶器である唐津焼をつ
くる技術(ぎじゅつ)をもつ陶工数多(かずおお)くおり,陶器(とうき)づくりから磁器(じき)づくりへの移行(いこう)がスムーズにできたことが(かんが)えられます。
 このことは実際(じっさい)に,陶器である唐津焼磁器である伊万里焼(かま)一緒(いっしょ)()かれていることや,陶器いたがそのまま磁器にかわっているくあることからもわかります。このように唐津焼(からつやき)伊万里焼(いまりやき)とは歴史にとても密接(みっせつ)関係(かんけい)があることがわかります。
鉄絵(てつえ)(はぎ)文壺(もんつぼ)(絵唐津)
佐賀県立九州陶磁文化館蔵
 これらの唐津焼ははじめ,おもに唐津から()されたので唐津焼()ばれました。
ところが, 意外(いがい)なことに唐津焼(からつやき)(かま)(あと)唐津市内よりも伊万里市内つかっています。大川焼山(やきやま)神谷(かみや)松浦阿房(あぼん)(たに)(かや)()(たに)金石原(かないしはら)南波多(はぜ)()(たに)大川原(おおかわばる)(しい)()(みね)大川内(いち)()()高麗(こうらい)(じん)などです。次に多いのが武雄(たけお)市内です。
 これらのがつくられた理由(りゆう)付近(ふきん)一帯(いったい)には原料(げんりょう)となる良質(りょうしつ)のねん()燃料(ねんりょう)になる松の木が大量(たいりょう)にあったからだとえられています。
 この伊万里市内や武雄市内で焼かれた唐津焼は,その多くが伊万里津( ()とは(みなと)意味(いみ)です)に(はこ)ばれ,現在(げんざい)の伊万里川河口(かこう)付近(ふきん)から(ふね)()()されたと考えられます。
 それまで日本使われていたやきものは中国朝鮮半島磁器(おお)く,国産では 瀬戸(せと)(愛知(あいち)(けん))・美濃(みの)岐阜(ぎふ)(けん))の陶器使われていました。

瀬戸・美濃焼と唐津焼のひろまり(約400年前)
 
伊万里・北松地域広域市町村圏組合「海と交流 わたしたちのふるさと」

  唐津焼中国朝鮮半島磁器(くら)く,での輸送(ゆそう)により,日本海側や瀬戸内,関西に(ひろ)まっていきました。そのため,現在(げんざい)九州沿岸(えんがん)日本海山陰(さんいん)北陸(ほくりく)地方でやきもの()のことを「からつ」,やきもののことを「からつ」「からつもの」などとぶのは当時(とうじ)名残(なごり)です。
 また, 唐津焼桃山(ももやま)時代から (ちゃ)道具(どうぐ)(わん)水注(みずさし)花生(はないけ)を作っており,江戸(えど)時代(こう)()には茶碗(ちゃわん)名品として,(いち)井戸(いど)()(らく)唐津(または,(らく)(はぎ)唐津)などと格付(かくづ)けされるほど(この)まれました。
 江戸時代り,現在伊万里市内 大川町(おおかわちょう)松浦町(まつうらちょう)南波多(みなみはた)中心(ちゅうしん)に唐津焼がさかんに焼かれました。 でも南波多府招上(ふまねきかみ)の椎ノ峰窯が有名です。 ()文書(ぶんしょ)などによると, 慶長(けいちょう)年間(1596〜1614)に大川町(おおかわちょう)東田代(ひがしたしろ)に窯を開いた陶工たちが(みなみ)()()(ちょう)(おお)(かわ)(ばる)(うつ)り,さらに元和(げんな)元年(1615)ごろ,椎ノ峰に窯を開いたと伝えられています。寛文(かんぶん)元年(1661)ごろの椎ノ峰には20(しつ)もある(のぼ)(がま)が3あり,おもに,普段(ふだん)生活使(うつわ)いていましたが,に1藩御用(はんごよう)の「()茶碗(ちゃわん)」をいたとされています。 また,普段(ふだん)生活(せいかつ)使(つか)う器は伊万里焼と同様(どうよう)に伊万里津から西(にし)()(ほん)一帯(いったい)に積み出されました。
 宝永(ほうえい) (1707)唐津藩は,一部(いちぶ)陶工唐津城下(じょうか)()び,坊主(ぼうず)(まち)唐津(からつ)(はん)御用(きず)かせました。その一方,椎ノ峰ではその後「茶碗」がかれなくなり,御用廃止(はいし)になったと()われています。
 しかし,幕末(ばくまつ)には(ふたた)陶器(とうき)かれるようになり,現在も伊万里市内の各地くのとともに,唐津焼かれています。

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